「まち歩き」の記 ‥‥ その7
(第599号掲載)
渋谷支部 倉林倭男
初冬の澄み切った青天の下、出身校(現小石川中等教育学校)ゆかりの地を巡るまち歩きを実施した。午後2時に旧小石川高校の正門前に集合し、前後30期にわたる同窓生約30人でのまち歩きであった。
まず不忍通りを大塚方面に進み、途中で左折し明化小学校へ。ここは戦時中校舎が被災した時に一時仮住まいした学校である。さらに文京十中、林町小学校を巡る。途中に一橋徳川家所有の樹林園が保存された千石緑地を見学。それから小石川植物園脇の網干坂を下って、占春園へ。ここは江戸時代松平頼元の屋敷の庭であったところで樹木が鬱蒼と茂っている。占春園の脇を抜けると、教育の森公園である。ここは府立五中初代校長の伊藤長七ゆかりの東京高等師範学校(現筑波大)の跡地であり、文京スポーツセンターが併設されている。しばらく休憩の後、春日通を渡ってお茶の水女子大、跡見学園、拓殖大学を見ながら、茗荷谷駅前を通って、文京区立茗台中学校へ着く。戦後小石川高校が移転していた同心町校舎の跡地である。校舎前で記念に集合写真を撮る。それから何かと縁のある竹早高校を横目に、傳通院へと歩く。家康の生母お大の方をここへ葬り、後に堂宇を起こし傳通院となったという。
徳川家ゆかりの女性の墓が多くある。傳通院に縁のある澤蔵司稲荷へ向かう善光寺坂の途中、道路の真ん中にムクノキの老木が枝を伸ばしている。文京区の天然記念物に指定されているそうだ。澤蔵司稲荷にお参りした後に近くのこんにゃく閻魔を見学する。江戸時代、目を患った女性が近くの閻魔さまに、平癒を日々願ったところ、夢の中に閻魔大王が現れ、自らの右目をこの女性に与え、眼病を治癒させた。女性は感謝の印として好物のこんにゃくをお供えしたとの由来の閻魔さまである。
歩き疲れたこともあり、懇親会の時間も迫っていたので、東大赤門見学をスキップして、後楽園駅から本郷三丁目駅まで地下鉄を利用し懇親会場へ向かった。なんと楽だったことか。懇親会場へ着いてみると、既に3人の友人が席に座っていて大笑い。いつものように乾杯から懇親会が始まったのであった。